涙の海へ―ひかりとかさぶた
PART1
わたしと重度訪問介護との出会いは8年前。
大きな交通事故被害に遭って命を失いかけた後、顔が半分つぶされた状態で、それでもやっと歩けるようになっていた。
事故の前はハードワークでもやりがいのある仕事をしていて、幸いにも待っていてくださる方もいて、復帰して元通りのペースで走り出せるような気もした。ただ、忙しく活気あるオフィスに戻って何もなかったように働いていくのには自分の負った体験のインパクトが大きすぎて、ちょっとした抵抗を感じた。
混雑した上りの電車でなく、下りの電車に乗りたかった。
ゆっくりとした小さな暮らしの中に戻っていきたかった。
生きて、細胞が燃えるのをただ感じている。そのことだけで精一杯な想い。
その想いを分かってくれる人たちを探しにいきたかった。
わたしは導かれるように重度訪問介護を始めた。
脳性麻痺の女の子の介護に入った。自己紹介の代わりに、女の子は真剣なまなざしで、生まれたときの話を繰り返ししてくれた。おかあさんが死の間際でがんばって自分を産んでくれたこと、双子のお姉さんは助からなかったことも。
いっしょにお風呂に入って、曲がった背中を洗っていると、そのバネのような美しい生命力が手応えをもって伝わってきた。おおらかなお母様のやさしさ。女の子のまぶしさ。わたしは少しずつ、元気になっていった。
ALSの女性の介護に入った。やっと覚えた文字盤でのコミュニケーションで、一文字一文字探り当てていって、わたしの事故のことを聞かれているのが分かった。
わたしはもうそのとき自分の事故の話をふつうにできるようになっていたのだが、事故の様子を聞いた女性の目から、涙がこんこんとあふれだした。不意をつかれてわたしも泣いた。二人でしばらく泣いた。
わたしは編集者として長く言葉の仕事をしていたが、それまでこんなに饒舌な涙のことばがあるのを知らなかった。
日常は忘れているけれど、わたしたちは等しく死の運命を負っている。
あたりまえのようにけんかをしたり、おしゃべりしたり、笑いあう人々もみな、いずれはこの世界から消えていかなければならない。
わたしたちの身体はときにとても重い。
かたちをもって生きることの喜びとかなしみ。
あなたとわたしは切り離されてあるということを
身体のどうしようもない痛みが、
その限られた輪郭を、非情に伝えてくる。
しかし苦しみの最中で響き合う魂が、なぜこんなにも生きる意味を教えてくれるのだろう。
東北を襲った大震災の後。津波にさらわれた地を覆って、一面にびっしりと美しい草が生えるのを見たことがある。まるで地を覆うかさぶたのように。
わたしの傷にも事故の痛みを覆って、かさぶたのように無骨であたたかな、何か不思議なものが結集し、癒そうとしているのを感じた。
救急車でずっと手を握っていてくれた救急隊員の方の掌のぬくもり。
血がへばりついて固まった冷たい髪を熱い水で洗い、一本一本ていねいに梳かしてくれた研修中の看護師さんの少し緊張した気遣い。
友人がダンボール箱いっぱいにして病室に送ってくれた新しい本とチョコレートの匂い。
変わってしまった顔が怖くて鏡を見られず、夜中に泣き出したわたしの鼻先で小犬のように困った顔をして、ただ抱き寄せてくれた恋人の胸のあたたかさ。
それらたくさんの力がもごもごと結集し、いつかわたしの傷は癒えてそこに新しい何かが付け加わっていた。
わたしの顔に残る醜い傷跡、そうだけれどもそれはどこか誇らしい、なつかしい力の痕跡だ。
わたしという、無限から生まれ出た有限のしずくのような存在を生きるということ。それは、ほかでもないわたしにとっては、鋭い痛みを伴うことでもある。
そもそもわたしたちは言葉という認識の光。その光が言葉なき全き世界につけたひとすじの傷。その傷にはりついたかさぶたのような存在といえるのかもしれない。
全き世界はいつもまるまると光輝いてわたしたちを圧倒し、剥がれてもいいよ、という。わたしたちは、いやもう少し剥がれたくないよ、と手をつなぎあっていう。
海景。一本の水平線は潔く空と海を分かち、拡がる。
落ち込んでいるとき、涙を乾かさなければならないのではない。
むしろ涙が足りないのだ。
たくさんのたくさんのどうにもならなさ、やるせなさ。
その涙が海をつくっていて、傷を浸し、癒し、お互いをつないで、たっぷりと横たわっている。
海に泳ぎ出したい。
かなしみと喜びがわたしたちを包み、
見たこともない遠くに連れていってくれるから。
有志が集まって、会社が始動した。
正直な一歩一歩は、そのときどんなに苦しくとも、あとでふりかえれば必然の糸を結んで、ちゃんと自分の道をつけて、命を運んでいく。
生きることは本当に不思議だと思う。
これからどんな道のりになるだろうか。
どんな仲間に出会えるだろうか。
響き合う魂が道を照らし、きっとわたしたちを
導いてくれると信じている。