<1 星の地肌にふれる>
歩きはじめたばかりの1歳の娘を抱き上げる。
生まれたてのいのちは澄んだ涙をいっぱいにためた
透明な水風船のようだ。
なぜこどもの魂はこんなに鈴のように揺れて泣き、笑うのだろう。
プリズムのようになないろのひかりを映して揺れる。
眠くなるとだっこをねだり、両手をばんざいしてやってくる。
やがて泣き疲れて、眠る前にぼぉっと発光するようにあたたかくなる。
眠ると少し重くなる。
やわらかな熱を蒸気させて、寝息をたてる。
3歳の娘は眠くなるとお話しをねだる。
ふたりでつくるにじいろのダイナソーのお話しがお気に入りで、
ダイナソーの背中にのって近所のスーパーに行ったり、
海をわたったり、山に登っておにぎりを食べたりしているうちに
ごきげんのままぱたりと寝てしまう。
寝相が悪くて転がっていくが、むくっと起きて
とことこ歩き、胸にもぐりこんできて、また眠る。
ときどき沢の湧くような快い笑い声を立てながら寝ている。
どんないい夢を見ているのかな。
子どもの肌にふれていると大人もこんなに安心する。
まぶたを閉じて、寝入りばなにみる映像がある。
夢の導入のような、脈絡のない、そのイメージに身を委ねると
眠りの中に落とされていく。
寝かしつけに絵本を読むのはどうしてだろう。
暗闇を怖がる子どもたちを、豊かな色彩が、物語の力が、竜宮城の亀の遣いのように、やさしい深みへいざなってくれるからだろうか。
子どものころ、死のことを考えて眠るのが怖くなり、
眠れなくなったことがある、とある友人が言っていた。
毎日の眠りは小さな死の訓練だ。
目を閉じたとき、まぶたの裏に見えるもの、それがあなただ。
どこかでそんな詩を読んだことがある。
看取りを行うシスター鈴木秀子さんは、事故で命を失いかけたとき、黄金に輝くひかりに包まれる体験をする。そのあまりに愛に満ちたあたたかい感覚に、死は怖いことではないと確信をして、死に逝こうとする人の手を握り、話を聴きに回っているそうだ。
わたしが死に近づいたとき、見たのは虚無の暗闇だった。
事故から回復した後、わたしはこっそりとその恐怖と闘っている。
わたしが交通事故に巻き込まれたのは、秒刻みのスケジュールに、影を失うようなちぐはぐな思いで、心がついていけていないもどかしさを感じていた時期だった。そのことが事故にいたる流れに影響したのかどうかはわからないが、それ以来、わたしは忙しくなること自体がとても怖くなった。
高速道路も怖いし、急ぐこと自体がとても怖い。乗り物にのることも怖い。
ゆっくりと自分の足で地を踏んで、心がもうどこにもいかないように、しっかりと抱きしめていたい。
特別なことはできなくていいから、できるかぎりていねいに生きて、与えられた時を呼吸し、味わいたい。
昼があり、夜が落とされる。美しい夜を養うための昼はどんなものだろう。
次に暗闇が訪れるとき、わたしのまぶたには豊かで静かな庭が憩っていますように。
8年前の交通事故。現場は東日本大震災後の福島だった。
福島第一原発が地震でアンコントロールに陥ったのとちょうど同じように。
運転手の短い悲鳴が聞こえて、車はコントロールを失い、そこから先の記憶がない。脳はあまりの恐怖に記憶のヒューズを飛ばすことがあるのだとはじめて知った。
取材に行ったわたしが、ミイラ獲りがミイラになり、傍観者が当事者になり。わたしは車から放り出されて、空中をどう飛ばされたのか、隣を走るトラックにぶつかったあと、道路に顔からたたきつけられた。
高エネルギー事故、というらしい。助かったのが不思議なような事故だった。圧倒的な物理にのっとられる、という体験。時空が曲がって、星の運行のように宇宙的な、無機的な剥き出しのエネルギーに裸でさらされたような体感だった。信じていた日常の言葉の世界から放り出され、巨大な星の地肌にふれた。
暗闇があった。漆黒の虚無だった。焦った私はその中を歩こうとしたが、手足が張り付いたような状態で、どうやって歩いたらいいか分からない。
死ぬのがいまだとは思わなかったな。
親しい人たちの顔が浮かんだ。企画中の本の関係者の顔が浮かんだ。
やり残したこともいっぱいある。
あかちゃんも産んでみたかった。
後ろからくるかもしれない後続車を恐れて、目を開け、残された全部の力で立ち上がり、側道に倒れた。
周りの人の会話が聞こえる。死にかけたときに聴覚が最後まで残るというが、鋭敏になった耳はわたしの状態が悪いものであろうことを教えてくれていた。
「もうだめだろう」「いや、立って歩いたらしい」
救急車が呼ばれた。こんなに意識がはっきりしているのに、周りからはそう見えていないらしい。生きているよ、こんなにしっかり生きているのに、しゃべることができない。
やっと開いていた目。視界が、真っ暗になった。あとで流れた血が目を覆ったからだと知ったが、もう目はだめなんだな、と思った。
生きたい、生きたい。生きていたい。
うすれていく意識をつなぎとめようと、夢中でしりとりをした。
小さいころ、おでかけの車中で、家族みんなでしたように。
りんご。ごりら。らっぱ。
パラソル。ルビー。
わたしのいた世界が、ひとつの生き物のようにきらきらとしてみえた。
なつかしい世界が、猫が扉のカーテンの向こう側に隠れていくような気配で、向こう側に滑り落ちていく。なんて美しい世界にわたしはいたんだろう。
戻りたい、もう一度戻れるならば。
神様、なんでもします。もう一度帰らせてください。
呼びもどせるものならば、全身全霊で呼びもどしたかった。
苦しいこともたくさんで、思いどおりにならなくて、けっして楽園ではないけれど、それは唯一無二のわたしの世界だった。
重低音のノイズが聞こえる。昏いカオスの森の中に閉じ込められて、水底から世界を見上げているような感覚。恐怖で叫びだしそうな歪んだ虚空のスクリーンに、言葉が連れてくる日常のかけらたちだけがユーモラスでのびやかな、生き生きとしたひかりを帯びて、水鳥のように浮かんで現れてはくるくると踊った。
びーだま。まり。りす。すみれ。れんげ。
沁み込むように鮮やかに美しい、それらはたしかにわたしが感受していた、愛しい世界のかけらたちだった。